絵描嬢

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カテゴリ: 雑記帳

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地元の市民文化祭で作品を展示します。
三年ぶりに参加します。
今回出品するのは以下の2点の原画です。
いずれもA4サイズの額装で展示します。
蒲郡市に立ち寄られる機会がありましたら、よろしければのぞいてみてください。


『平成25年度 蒲郡市民文化祭-絵画展-』

会期: 2013年11月8日(金)~2013年11月10日(日)
    10:00~17:00(最終日は16:00まで)
    入場は終了30分前まで
会場: 蒲郡市博物館 ギャラリー
    〒443-0035
    愛知県蒲郡市栄町10-22
    ★市民会館のすぐ隣の建物です。蒸気機関車が目印。
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昨年の夏に引き続き、今年も内容の濃いDVDを観た。
監督は今年1月に故人となった大島渚氏。
“阿部定事件”をモチーフにしているので、登場人物や展開についてはその事件を調べてもらえればわかる。

※以下、多少ネタバレを含んでいるかも知れません。

この映画についてはすでにあちらこちらで多くの感想・批評が述べられてるので、自分なりにどう語ろうかしばらく考え込んだ。
本編の8割,9割を男女の性行為が占めており、特に性器の描写に当たっては決して日本ではそのまま上映できないような演出で撮影されている。
私は大島氏の試みや主演者たちの存在感、画面・構図の美しさ、舞台セットや音楽の完成度については、他の方々が述べる高い評価と同様に思う。
前に『熱海秘宝館のテーマ』で述べたような“エロ×高い芸術性=傑作”の方程式はこの作品にも当てはまった。(+α徹底したコンセプトがあるのだから方程式以上かも知れない。)

この映画には1976年の公開当時から「芸術か?ポルノか?」という論争がつきまとっているようだが、私はポルノ!というほど身構えて観る作品ではないように感じた。
それはやはり、あまりに純化された男と女の、主人公たちの世界に魅き込まれてしまうからだと思う。
万年床で耽美にふけっている男女の傍で、何事もないかのように微笑んで三味線を弾く芸者。
非日常の世界は日常(軍靴が響き始めた世間)に比べ、いたって平和である。
吉蔵が定を褒めれば定は喜ぶ。「嬉しい!」と舌足らずな少女のように。
吉蔵はいつもやさしいしよく笑うが、急に緊張したような表情を垣間見せるいまいち本音のわからない男である。
いつも離れない二人だが、吉蔵の口から出るのは「死ぬまで一緒ではなく」、「末永く楽しもう」。
定は吉蔵を真っ直ぐ見つめて話しかける。吉蔵は定を見ているがやや視線を外している。
あんなに近くにいるのに、眼差しがまぐわうことはほとんどない。
いずれ息が詰まるであろう箱の中、大人がする行為の繰り返しのはずが、不思議とこちらの心情的には10代のカップルを見ているようであった。
だから、とうとう定が吉蔵を絞め殺した時でさえ、その片割れがいなくなってしまったことがただ悲しかった。
「もーいーかい?」「まーだだよ!」
もう(逝ってしまった)かい?まだ(この世にいる)よ・・・・・・
夢の中で吉蔵の返事は消える。
目覚めた定はひとりになる・・・・・・・・・
そして最後に、定は二人の“思い出のもの”を持ち去る。
何のことはない。定と吉蔵にとってそれがすべてだっただけ。

ちなみに、クインシー・ジョーンズのヒット曲『Ai No Corrida』は、1980年にチャズ・ジャンケルが収録した曲のカバーである。
ケニー・ヤングという作詞家がこの映画に触発されて作詞し、チャズ・ジャンケルが作曲した。
その2年後、チャズの曲を気に入ったクインシーがディスコ・ミュージックにアレンジし発表したのである。

戦前の日本で起きた事件が最終的にはディスコ・ミュージックにまで昇華されてしまうなんて、人間の感性の連鎖は面白いものである。
事件当事者のお二方は今頃、あの世でどう思われているのだろうか。
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名古屋市美術館で開催中の『上村松園展』に行ってきた。
彼女の展覧会は過去に一度、数年前に同県豊橋市で開かれた時に行ったことがある。
そこで見た『花がたみ』という作品にもう一度会いたいと思い、前売券を購入した。
今回の展覧会でも『花がたみ』は展示されており、額の位置が豊橋の時より下の方に設置されているように思え、より近づいて作品を眺めることができた。
『花がたみ』のモチーフは、帝の位につくため地方から都に上った皇子を恋い慕い、形振り構わず追いかけてきた平安貴族風の女性の姿である。
十二単からのぞく腕はその衣装を身に着ける者としては不自然なほど痩せており、ふくよかであるはずの顔も顎の形がはっきりわかる。
笑顔のようだが口もとが引きつり歪んでいる。
恋に狂った女性は十二単を引き摺り、足もとに扇子を落としたのにも気付かず、燃えるような紅葉が舞い落ちる中を皇子を目指して歩いてゆく。

もう一つ、豊橋展では見られなかった『焔』という作品が今回展示されているか期待していたが、残念ながら展示されていなかった。
『焔』は、『花がたみ』では狂女でとどまっていたものが、ついに怨霊化してしまったような作品である。
高校時代に図書室で偶然この絵を見て上村松園さんを知った。
専門学校の卒業制作のタイトルもこの作品からとった。

また、上記とはまったく違う雰囲気の作品なのだが、ふと心に残った作品がある。
『晩秋』という作品である。
障子に雪の結晶のような形に切り抜いた和紙を貼っている女性の絵である。
昭和18年作。ご時世は太平洋戦争の真っ只中。
表向きは働き者の主婦が障子を直しているから質素・倹約をテーマにしているようにみえ、規制に引っかかることなく発表できたのかも知れない。
しかし、よく見たら障子の当て紙は雪の華。さり気ない美意識や豊かさが散りばめられている。
挿絵画家の中原淳一も戦時中に制作した絵葉書で、更生服のデザインや配色を提案している。
改めて松園の作品を見て気づいた時、芸術とは本来、どんな社会下でも抑圧を擦り抜けて永遠に生き残ってゆくものなのだと確信した。
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2002年大晦日、私はNHK紅白の『地上の星』をTVの前で正座し、瞬きもせずに見ていた。
その数ヶ月前に、父が持っていた中島みゆきさんのCDを聴いて彼女のファンになったばかりだった。
 
あれから10年。
2012年12月半ば、中島みゆきさんのライブに行ってきた。初めて生のみゆきさんに会うことができた。
同行してくれた彼氏が曲目を撮影してくれた。
ほとんどが昔からの曲で、新曲より知っているものばかりだった。
建設途中のビルのように鉄骨を組み上げたステージから、重厚なサウンドが降ってきたが圧倒はされない。
ああ、みゆきさんの音だ。いつも自分の部屋でかかっている曲だという安心感。
今回のライブでも『地上の星』を歌ってくださった。
ワインレッドのドレスと同じ色のコートを片肌脱いで、舞台奥から鉄骨のステージの下を真っ直ぐ歩いてきた。
「な~んか、紅白のような気がしませんかぁ??」
歌い終わった後、みゆきさんが笑いながらおっしゃった。
それだけでも十分に感動したライブだったが、ひとつだけ特に心に残った曲がある。
ライブ終盤で歌われた『世情』である。
10年前、父から借りたCDの中に『愛していると云ってくれ』というアルバムがあって、それの一番最後に収録されている曲である。
私は歌詞の一言一言を思い浮かべながら聴いた。そして、何かを思い出そうとした。
 
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
 
10年前に聴いた時は、周囲からの抑圧を跳ね除け、自分を貫けと言っているように思えた。
ライブの帰りに彼氏とその辺の話をした。
自分の意思・価値観を貫きたいのは昔からの私の性格で、それが周囲の人と合わないとどう接したらいいかわからなくなる。
それでも自分の主張をすべきだろうか。
たとえ親しかった人でも、自分と合わなくなったら離れてしまえばいいのだろうか。それでいいのだろうかと。
彼氏はよくないと言った。
それでは最後には誰も君の周りからいなくなると。
いくら君がよいと考えた理屈でも、相手には当てはまらないこともあると。
それを聞いてハッとした。この詞のことではないかと思った。
 
世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている
包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる
 
仮に貫いたとして、自分の正義を自分の中に築けたとして、世の中も皆同じように生きているからそれだけでは堂々巡りなのかも知れない。
そもそも一個人の価値観にしてもにしても、世の中の常識にしても、それらはどのように構築されていったのか。
本を読んで考える。TVやネットを見て考える。人から聞いて考える。
でも、人の口から語られる本音はどのくらいあるのだろうか。
多かれ少なかれ、良くも悪くも建前が含まれている“声”を分析した程度の“正しい答え”では、人に理解を求めるのに無理がある。
本当に何かを理解するには、理解したければ、その対象になる人や状況にリアルに近づいてみるしか方法はないのに。
 
彼氏と中島みゆきさんという意外なコンビネーションのおかげで、想像以上に有意義な時間を過ごすことができた。
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9月最後の週。
暑さが落ち着いた途端、彼岸花が咲き始めた。
我が家の庭では、五角形の紫の桔梗のような朝顔が花を咲かせてぶら下がっている。
写真を撮ったのが正午頃だというのにこの大輪ぶりである。
直射日光と蔓植物。写真になってしまえば、実際はその場にカラッとした涼しい風が吹いていたことはわからない。
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